室町時代、1434年(永享6年)頃、近くの上蜂屋村の女性、お島が、子供を授かるために百日間の願掛けを行ないました。
すると百日目の夜、白鬚の老人が夢に現れ、「唐銭を1枚飲み込めば子が授かる。」というお告げがあったそうです。
そのとおり行なうと男の子を授かりました。
不思議なことにその男の子は左手にその唐銭を握っていました。
この男の子は観音様の子供に違いない。」と思ったお島は、小山観音を厚く信仰したといいます。
男の子は仏門に入り、後に仁済禅師となります。お島と仁済は、のちに周元通宝300枚を溶かして高さ1尺の馬頭観音を作り、小山観音の新たな本尊としました。