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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた北条義時が主人公のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。
岐阜県美濃加茂市には、源頼朝のいとこの源(木曽)義仲や、頼朝の家臣畠山重忠、クライマックスで描かれる「承久の乱」のゆかりの地があり、市民が地元の歴史を再発見する契機になっている。

 

若名御前宝篋印塔

義仲ゆかりの若名御前という女性の菩提(ぼだい)を弔う伝若名御前宝篋印塔(でんわかなごぜんほうきょういんとう)(同市指定有形文化財)が、同市下米田町山本の諏訪神社近くの山中にある。
高さ約170センチの供養塔で、南北朝初期の様式があり、その頃造られたとされる。

飛騨川に浮かぶ小山観音

同市下米田町小山の飛騨川に浮かぶ小山観音(同市指定名勝)も、若名の菩提を供養するため、平安末期に義仲が堂を建て馬頭観音像を納めたのが始まりという。
一説によると若名は義仲を追って京へ上る途中にこの地で病死、護持仏の馬頭観音像を納めたらしい。

承久の乱

一方、知勇兼備で「坂東武士の鑑(かがみ)」と言われる畠山重忠の菩提寺として、鎌倉初期の正治年間に創建されたと伝わるのが、市役所付近の万尺寺(同市太田町)。住職は畠山泰元さん(70)で、畠山姓を名乗る。当時天台宗の大寺として同町城房に創建されたが、室町期の兵火で罹災(りさい)。1471年に規模を縮小して再建され、後に臨済宗妙心寺派の寺院になった。
境内には、いわれの分からない大小19基の古い五輪塔がある。「美濃加茂の石仏」(同市教育委員会社会教育課発行、1988年)によると、鎌倉から南北朝期に制作、建立されたとの見解が記されており、承久の乱の戦没者供養に造られた可能性もなくはない。
寺は、1221年の承久の乱の口火を切った大井戸の戦いの合戦地跡に近い。後鳥羽上皇が幕府執権の北条義時討伐の兵を挙げて敗れた兵乱で、6月5日、幕府軍5万騎が可児市側に、朝廷側2千騎が美濃加茂市側に布陣し、火ぶたが切られたという。場所は中濃大橋付近といわれている。
なぜ、鎌倉殿のゆかりの地が美濃加茂市に複数残るのか。郷土史に詳しい亀井喜久男さん(67)=可児市土田=は「当時中山道はなく、京への道だった東山道は可児市から各務原市を通るが、美濃加茂を通り木曽街道とも呼ばれていた東山道の脇道の往来も多かったのでは」と推測する。地元では義仲の母親との説が伝わる若名は、今は側室説が有力といい、「義仲との間に子が生まれ、遺子の存在を隠すため義仲の母親として伝わったのでは。義仲の三男義基(よしもと)の母親の説もある」と歴史ロマンを膨らませる。